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吉祥寺の歴史

吉祥寺

萬年山 吉祥寺
 
ご本尊 釈迦牟尼佛(しゃかむにぶつ)
ご開山 惟慧道定大和尚(ういえどうじょう)
開 基 吉祥院徽山浄玄居士(きちじょういんきさんじょうげん)
本 寺 徳厳寺(岐阜県関市)
 

縁起

承久の変(1221)後、信濃国(長野県)の御家人飯島氏は新しく仁多郷に所領を獲得して拠点をし、そこの地名から三沢氏を名乗って内外に勢力を誇りました。中世以来その地では鑪製鉄が営まれていましたが、氏はその生産と流通の掌握統制を通じて出雲国内の盟主的存在になり、15世紀末までその勢力を拡大していきました。尼子・毛利の合戦に於ける氏の戦国型マキャベリズム・オポチュズムへの評価は史家に任せるとして、氏の長門国転封後もこの地に引き続き一族が残りました。家島氏です。
 非常に優秀な製鉄技術を持つ家島氏は、更に良質の砂鉄を求めて布部郷に拠点を移します。江戸府の「山例五十三箇集」に記される「一山は一国たるべし、他の指揮に及ばず」とある様に一種の治外法権勢力となりました。生産する純度の高い鑪は内外の需要に応え、藩の財政を大いに潤しました。
 享保3年(1718)、家島治右衛門隆則は祖先と製鉄職人の菩提を弔う為にと発願し津田郷に吉祥寺を建立しました。
 ご開山様は、惟慧道定大和尚。美濃国関(岐阜県関市)の中村氏に生を受けられ、9歳にて出家「書ヲ攻(おさ)メ辞ヲ修ス、是世間相ノミ。曷(いずくん)ゾ出世間ノ法ヲ求ムルニ若(し)カンヤ」との14才時の慨嘆は諸方編参の旅を促しました。宇治の興聖寺の門を敲き、後に黄檗(おうばく)宗隠元(いんげん)禅師に随身します。曹洞・黄檗両修の師は、更に大乗寺・永平寺に出世、特に尾張徳川公の尊崇を受け菩提寺に招請されますが病気と称して固辞するも、再三の敦請抗い難く5年の間住したと謂います。その後、各地の寺院にて法筵(ほうえん)を開き、丹波の国に赴かれた正徳3年4月25日入寂されたと年譜は伝えます。
 寺院の開山は、実際には開山の法嗣または法孫によって開かれていても、その寺の開山や歴住牌父祖を勧請(かんじょう)して、師父の恩徳に報いる場合が多く見られます。
 当山2世桃渓甫仙(とうけいほせん)大和尚は薩摩の産。惟慧道定大和尚の法嗣で師席を継承しました。師は通幻寂霊(つうげんじゃくれい)禅師の開かれた摂丹境(現京都・兵庫県境)の古刹(こさつ)永澤寺独住6世で、その徳望は各地で慕われ、当山の他に五ケ寺の開山に迎えられたことでも知ることができます。子弟の養成に心血を注ぎ、その子孫は各地に栄えています。
 
4世 道光慧中大和尚             9世 南悦無極大和尚
5世 大圓官峯大和尚            10世 牧外齢牛大和尚
6世 壽法正山大和尚            11世 泰嶽齢運大和尚(赤木町明窓院29世へ転住)
7世 巨峰萬元大和尚            12世 顯孝賢道大和尚(赤木町明窓院28世へ転住)
8世 龍嶽賢齢大和尚            13世 義峰回天大和尚
(兵庫県普賢寺10世、上宇部尾宝林寺兼務へ)14世 至道賢孝大和尚
                     
  (《寺宝》
 
《行持》
毘沙門天祈祷会    1月 3日   盂蘭盆施食法会  8月21日
秋葉三尺坊大権現大祭 4月18日   地蔵供養     8月24日
大般若法会       同

寺概要

吉祥寺
■所在地
〒690-0011
島根県松江市東津田町1347
■電話番号0852-23-6983
■FAX番号0852-23-6993

交通アクセス

[住   所] 〒690-0011 島根県松江市東津田町1347
 
吉祥寺
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島根県松江市東津田町1347
TEL.0852-23-6983
FAX.0852-23-6993


 
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