かさ地蔵独語
秋の夜
2012-10-04
露下り 天高くして 秋の気清く
空山に独り夜にありて 旅魂(たびごころ)驚く
疎灯 自(ひとり)照らして 帆ひとつ宿り
新月なおも懸りて(かかりて) 杵(きね)ふたつ鳴る
南の菊に再び逢いて 人(われ)病に臥すも
北よりの書(ふみ)は至らず 雁(かり)の情(つれ)なきことよ
軒(のき)に歩み 杖によりて牛斗を看(み)れば
銀漢(あまのがわ)遥かに まさに鳳城に接するなるべし
杜甫
老いて四川省に病み、都から音信の途絶えた杜甫が 秋の夜 杖を曳いて川辺に立ち夜空を仰いで
北に流れる天の川に長安の鳳城を想った絶唱です。
みなさんもたまには秋の夜空を仰いでみませんか。北斗七星がかなり低く大きく見える秋の夜空を
合掌
一念一行
2012-10-03
もう、ずいぶん前にお亡くなりになりましたが、京都大学の総長をお勤めになりました平澤 興さんが雑誌に寄稿されたお話を引用孫引きさせていただきます。
野口英世が麻痺狂病原菌を発見した時のはなしです。彼は麻痺狂の脳について顕微鏡標本を1万枚作り、200枚を一組にして二人の助手と研究室で寝食を忘れて片っ端から検査したそうです。しかし、目指す病原菌は見つからず、助手が最後に見た一組の標本を家に持ち帰り顕微鏡をのぞき夜を徹して検査をいたします。明け方になり、彼はついに9995枚目の標本プレパラートに探す病原菌を発見しました。英世は歓喜に飛び上がり、部屋と言わず、庭と言わず家中を駆け回りカッポレを踊りだしたそうで奥さんは気がふれたのではないかと思ったそうですよ。
私たちはどうでしょうか。1万枚のプレパラート標本を前にし始めからギブアップ、それでも200、300枚は覗いても探すものが見つからなければ諦めてしまいますよね。
熱心岩をも貫くか。
「一念一行」・・・一念を持ち、ひたすら行じ続ける。大きなことでなくともその持続はその人の人生に
確かな香りを持たせるものではないでしょうか。
ブログ3日目です。「三日坊主」にならなくて良かった。まあ、「坊主は三日やったらやめられない」とも言います。行の一環として勤めていけたらいいなと思っています。
今後も、先人先達のエピソードを少しずつ載せていきますのでご愛読願います。
合掌
立待月
2012-10-02
辻君の辻に立待月夜かな 正岡子規
中秋の名月の翌日の月は十六
(いざよいの月)さらに翌日の月を立待月(たちまちづき)と言う。
山の端にいざよう十六夜、立待つほどに出でくる十七夜、座して待つ居待月、寝転んで待つ臥待月
更待月は夜半遅くに出てくるのでこの呼称がなされたそうな。
中秋の名月からのこれら月の呼称は、十七夜から二十三夜までを七観音としてお祀りした風習によるものだとする説もあります。
「月」は秋の季語。新月から満月に至るそれぞれの月に名が付せられています。
「上り月」「二日月」「三日月」「夕月」「待宵月」そして「満月」となり以後上述のお月さまとなります。
境内の百日紅にはまだ花がついています。その枝にひょいとお月さまが座って見えたのでこのような文を認めてみました。・・・それにしてもお寺のブログに「辻君・・・」の句はないか。
まあしかし、「よろずのことは 月見るにこそ 慰むものなれ・・・」
諒とされたい。
合掌
ご挨拶
2012-10-01
松江市の中心から外れた津田の里の山寺に入って30年を閲し、特に俗世間と離れた生活をするでもなく徒然なるままに日暮し、初老の域に達して聖(ひじり)への憧憬あるもここにきて日暮れて道遠し。
いささか無聊を慰めんとて、先達兼好法師の顰に倣い日々の由無しことを綴ってみんとて筆を執りました。
お目にお留め下さりご愛読いただけると喜びます。
金木犀の香りが境内にいっぱいになっている今月今夜、月の光は赤々として机上を照らし「人もすなるというブログといふものをしてみんとてするなり」元より性、懶惰、いつまで続くかわかりませんが、先ずは蛍の光、窓の雪明りを頼りにして綴っていきたいと思います。
ご高覧お願い申し上げます。
合掌